年末の御挨拶

今年は、平成から令和に時代が変わりました。
私がブログをスタートさせたのは、平成18年の2006年4月です。
それから、大体1週間に3回の記事をUPして来ました。
本年末で2148回目となります。
その間に、多くの皆様が私のつたない記事を読んで頂きました。
来年も、これを続ける積りでいましたが・・・・・・
諸事情により、一旦休止せざるを得なくなりました。
:::::::::::::::
復帰まで、しばらくお時間を下さるようお願い致します。

来るべき新しい年も、皆様にとって幸せが訪れますように!!と、
お祈り致します。

| - | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
第24回 落語の舞台を歩く 

今回は、「王子の狐」と「花見の仇討」がテーマ。
王子の狐は、人を化かす狐が人に化かされ、人間不信に陥る・・・
王子では、年末に「王子狐の行列」が開催されます。
大晦日、装束稲荷を出発し、王子稲荷神社まで狐火を再現。
この風景は、江戸時代1856年の浮世絵師・歌川広重によって
描かれています。


 

装束稲荷神社:大晦日の夜、関東各地から集まった狐が、
    榎の木の下で衣装を整えて王子稲
    荷神社に参詣したという伝承による。


王子稲荷神社:江戸期より庶民に親しまれている神社で
    狐様に願掛けに来る人が絶えない。
    神社の一番奥に、狐の穴がある。


扇屋:噺に出てくる卵焼きの店。
    創業1648年ですが、小さい屋台風。

| - | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
習志野寄席

笑点でお馴染みの、「林家たい平・三遊亭円楽」の落語会に、
家内と一緒に出掛けました。
夏に、S席を予約した落語会です。


会場は、満席。笑点の影響力が絶大な事を実感しました。
演題は前座の三遊亭楽大の「時そば」、
たい平は「不動坊」、円楽は「読書の時間
たい平・円楽の前振りは、笑点の話題。


「不動坊」は、物まねの得意な・たい平には、向いていたと思いました。
円楽の新作落語「読書の時間」よりも、私は古典落語を聞きたかったです。
時間があっという間に過ぎました。


私的には、中入り後に二人の落語を、もう一席づつ聞きたかった所です。
家内が満足してくれたのが、救いでしたが・・・・・

| - | 13:40 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
第10回 悠々会  その2

薬王寺・畠山重忠霊堂:曹洞宗の寺、本堂に重忠の霊を祀る。
     境内に重忠・一族郎党134騎を埋葬した「六ツ塚」がある。


駕籠塚:重忠の正室「菊の前」(北条時政の娘)は、
    合戦の連絡を受け急ぎ駆け付けたが、
    この地で夫の戦死を知り、その場で自害。
    自害した場所に駕籠のまま埋葬されたので「駕籠塚」と呼ばれる。


白根不動尊:平安中期の11世紀初めの創建と推定される。
    かっては成願寺で浄土宗の寺。
    弘法大使作の不動明王を本尊としていた。
    武将・源頼家がこの不動尊を篤く信仰。
    治承4年(1180)に源頼朝が挙兵の際に勝利を祈願。
    この地域は武蔵と鎌倉を結ぶ交通の要衝として
    畠山氏、北条氏とも重要視。


鶴ヶ峰稲荷神社:帷子川沿いに鎮座する小さな神社。
    エンゼルスの大谷翔平が参拝した事で話題になる。
    母親の実家が神社の近くにあり、
    子供のころから母親・姉と一緒に参拝していた。
    メジャーか日本か迷った時、ここでおみくじを引いた。

| - | 13:57 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
第10回  悠々会  その1

今回のテーマは「鎌倉武将・畠山重忠最後の地を辿る」です。
相鉄線の鶴ヶ峰駅をスタート・鎧の渡し/首荒い井戸・
重忠首塚・畠山重忠公碑・薬王寺・
駕籠塚・白根不動尊・鶴ヶ峰神社
と廻り鶴ヶ峰駅で解散。


畠山重忠:平安末期から鎌倉初期の武将(1164〜1205)
知勇兼備の武将として常に先陣を務め、
鎌倉幕府創設の功労者。頼朝・頼家・実朝の3代に仕えた。
武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄から「坂東武士の鑑」と称された。
所が、北条時政により、討たれる(二俣川の戦い)


鎧の渡し/首荒い井戸跡:鎌倉街道から帷子川を渡る場所で、
川幅が広く浅瀬の為、武士が渡るとき
鎧を頭に乗せて渡ったのが名前の由来。
かつては傍らに重忠の首を洗い清めたとされる井戸があった。


畠山重忠首塚:重忠の首が葬られた場所とも、
兜を埋めた場所ともいわれ、
小さな地蔵堂と2mほどの7重の石塔が建っている。


畠山重忠公碑:重忠終焉地碑で、二俣川合戦場跡にある。
文久2年(1205)北条時政の陰謀により駆け付けた
重忠軍は僅か134騎。北条郡は3万騎。
北条郡の弓の名手・愛甲季隆が放った1本の矢で絶命。

| - | 13:53 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
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