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第6回 悠々会  その3

源頼朝の墓(法華堂跡):頼朝の墓に通じる石段の左手に
     白幡神社と法華堂跡の石碑がある。
     元々白幡神社には頼朝の持仏堂があり、
     正治元年(1199)に急死した際も遺骸はここに葬られた。
     翌年の頼朝1周忌以降は、大蔵法華堂と呼ばれた。
     明治初年の神仏分離令に伴い法華堂は撤去されたが、
     明治5年に1.7mの盛土をして白旗神社が再建され、
     改めて頼朝の霊を祀る。神社右脇の石段を上がると法華堂がある。
     玉垣に囲まれた約1.9mの5層の石塔が頼朝の墓とされ、
     安永8年(1779)に頼朝の子孫と称する
     薩摩藩第8代藩主・島津重豪が建立したもの。

 

三浦一族の墓:三浦氏は幕府で北条氏と肩を並べる有力御家人であった。
     頼朝の死後、北条氏は梶原・比企・畠山・和田など
     有力御家人を次々に滅亡させ三浦だけが残った。
     宝治元年(1247)5代執権・時頼軍の不意打ち屋敷を焼かれ、
     三浦方は頼朝の法華堂に立て籠り、一族270人が自刃した。

 

大蔵幕府跡:鎌倉幕府は源氏3代と北条執権時代と合わせて
      約153年間続いたが、幕府の場所が2度移転されている。
      大蔵幕府は、治承4年(1180)に頼朝が最初に屋敷を構えた場所。
      敷地の中央に母屋があり、御所で政務が行われた。頼朝死後も、2代頼家
      3代実朝、尼将軍政子まで約46年間、武家政治の中枢機能を果たした。

 

宇都宮辻子幕府跡:若宮大路の鎌倉彫会館横の小路を入ると、
      正面に宇都宮稲荷社がある。
      この辺りが2番目の宇都宮辻子幕府跡で、稲荷前に石碑がある。
      宇都宮の名の由来は、初代執権・時政の娘婿の御家人・宇都宮頼綱の
      屋敷があったことが由来。
      政子の死後、3代執権・泰時は嘉禄元年(1225)幕府をここに移した。
      この御所に9歳の公家将軍・藤原頼経が住んだが、
      政治の実権は泰時が握った。この幕府は12年後には若宮大路に移る。

 

若宮大路幕府跡:嘉禎2年(1236)僅か12年で終わった
      宇都宮幕府からこの地に移動。
      元弘3年(1333)に北条政権が倒れ
      鎌倉幕府が滅亡するまで約98年間ここで幕政が行われた。
      作家・大佛次郎旧艇の黒塀が尽きる辺りに石碑がある。

| - | 14:09 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
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