第6回 悠々会  その2

日蓮上人辻説法跡:布教を再開した日蓮上人は、
       建長6年(1254)夷堂から松葉ケ谷の草庵に移り、9年間住んだ。
       当時の鎌倉は災害や疫病が続き、人々は不安と恐怖に怯えて居た。
       これを救うべき日蓮は、道端に立って
       辻説法を行い法華経の教えを説いた(日蓮38歳)。
       この辺りは武家屋敷と商家・町屋が立ち並び、
       人通りも多かった。翌年39歳の時、「立正安国論」執筆したが、
       他宗の信者から襲撃され、草庵は焼き払われた。

 

東勝寺跡:3代執権・北条泰時が葛西ケ谷に建てた北条家の菩提寺で、
     鎌倉幕府終焉の地。
     元弘3年(1333)14代執権・高時率いる幕府軍は
     新田義貞軍に追い詰められ、東勝寺に立てこもった。
     敗戦を覚悟して寺に火を放ち、北条一族870名は自害。
     敷地の奥に「腹切り櫓」と呼ばれる横穴がある。
     高時を含め戦死者を埋葬した墓とされる。

 

宝戒寺:天台宗の寺。北条氏滅亡後、一族の霊を鎮めよ
    との後醍醐天皇の命を受け、
    建武2年(1335)に足利尊氏が北条家屋敷跡に創建。
    四季を通じ花が楽しめる寺として知られ、
    特に秋に咲く白萩が見事で「萩寺」と呼ばれる。

| - | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
第6回 悠々会  その1

今回のテーマは「武家の古都・鎌倉散歩」です。
総武線快速で、鎌倉駅まで。ここをスタートし、
本覚寺・妙本寺・日蓮上人辻説法跡・東勝寺跡・宝戒寺・
大蔵幕府跡・三浦一族の墓・鶴岡八幡宮・若宮大路幕府跡・
宇都宮辻子幕府跡
と廻り、鎌倉駅で解散。
 

本覚寺:室町時代に創建された日蓮宗の寺。
    治承4年(1180)源頼朝が幕府を開く際
    守護神として建てた夷堂が始まり。
 

 

    建長6年(1254)に鎌倉入りした日蓮上人が
    布教活動をした時に、ここを仮住まいとした。
    (現在の夷堂は、立派な建物に変身)
    永享8年(1436)鎌倉公方・足利持氏が本覚寺と号して創建。


  

    分骨導に身延山から分骨した日蓮の遺骨を祀るので
    「東身延山」とも称される。
    境内に、名刀正宗で知られる、正宗のお墓がありました。

 

妙本寺:日蓮宗最古の寺院。文応元年(1260)日蓮を開山として、
    比企が創建。
    本尊は天下3体像(同じ木から彫った3体)の1つが、
    身延山久遠寺・池上本堂と共に、日蓮座像がある。


 

 

    正治元年(1199)頼朝が死去後、
    比企一族の勢力を恐れた初代執権・北条時政により比企は滅亡された。
    その半世紀後、唯一生き残った比企能本が
    一族菩提供養のため屋敷跡に本寺を建てた。

 

 

 

 

| - | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
黄色のヒガンバナ

不思議に、お彼岸の時期になると、赤いヒガンバナが咲きます。
少し前から、赤いヒガンバナに交じって
「白いヒガンバナ」が見られるようになりました。


 

ところが、鎌倉のお寺の境内で「黄色のヒガンバナ」を見つけました。
突然変異なのか?人工的に作り出された花なのか?


ヒガンバナ=赤の常識が、崩れ始めました。

 

 

| - | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
ソフト技術者の反乱

私が、今の会社を起業する2年前(1944年)に読んだ、
ソフト技術者の反乱」を読み返しました。

 

主人公は、三井物産を退職し新会社「日本ナレッジインダストリ」を起こした人の小説です。
商社の中で、ソフト開発をビジネス化したものの、
本社の一部幹部から嫌がらせを受け主要な部下と起業する。
大企業の陰湿な嫌がらせ、辞めようとする部下の遺留工作。

 

最後に、部下がついてきてくれた秘訣は何か?
やはり、身ぎれいにする事
相手の立場に立って仕事をする事。約束を守る事。
これらの事は、私が独立した時に参考になりました。


大企業は、大きな船に乗っているようなもの。
小企業は、夢と希望を追いかけるロマンの世界にいるようなもの。
これが、今思う実感です。

| - | 14:09 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
第61回 AK33  その3

草加松原:草加宿は慶長11年(1606)江戸幕府の命を受けた
     大川図書が中心になって日光道中の千住〜越谷を
     一直線で結ぶ草加新道を築き、
     寛永7年(1630)に宿を設けた事に始まる。
     草加宿の北辺に広がる松並木は、
     寛政4年(1792)に1230本の苗木を植えたという記録がある。
     一時樹勢が衰え60本余りまで減少。
     市民が中心になって補植し、現在634本まで回復。
     元禄26年(1689)3月に江戸深川を船出し、
     千住に向かった芭蕉は、道中最初の宿をこの草加宿だった。

 

蒲生の1里塚:1里塚は江戸時代の街道沿いに、
       1里ごとに設置された塚。
       塚の上に、榎・松・杉などを植え、
       通行者の道程の目標や休息等にされた。
       多くの1里塚が姿を消す中、
       これだけが埼玉県内日光道中に現存する
       唯一の1里塚となっている。
 

| - | 14:17 | comments(0) | trackbacks(0) | 『ビルドクター』福田紀之
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